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お 盆

 
お 盆
祇園精舎 阿弥陀経などが説かれた所   Wikipedia:出典
母なるふる里「盂蘭盆会」
 
 
「盆と正月」は、古く丁稚奉公という雇用制度があつた頃から、「お給金」をいただき、「やぶ入り」することを許された日だったからでしょうか、あるいは、「みんながするから、私も」という曖昧な常識が根底にあるからでしょうか、日本人にしみこんでしまった国民的行事になっています。「お盆」とは梵語のウランバナが音訳されて、「盂蘭盆」となり、略されて「盆」と なったもので、意味は「倒懸」とも訳され、甚だしい苦しみをいいます。お釈迦様のお弟子の目連が、たいへんな苦しみに遭うている母を救おうとして、お釈迦様の教えに聞き、したがい、ついに救済されたという『盂蘭盆経』に説かれている故事から始まったようであります。いつの頃からか、「お盆」には、精霊の迎え・送りがいわれるようになり、習俗化し、いまでは宗教行事としての意味はほとんど失われ、京都の大文字山の送り火のように、風物詩として、形だけが残されています。私たち浄土真宗の門徒は、もとより「精霊」とか、「冥福を祈る」などということはいいません。今日では、一年のほぼ折返し点にあたる「お盆」を迎えると、思想とか、宗教とかの関係はなく、とつぜん、だれもが、ふる里を思い出し、全国的な民族の大移動が始まることになります。母をしのんだ目連尊者の故事と、この時代の「ふる里志向」とが、まったく無関係のものとも思えません。人は皆、自分の意識を越えて、ほんとうに安らぐことのできる世界を求めて、すべての人間を生み出してきた大地としての「母なるふる里」へと、猛暑にもめげず、身を運ぶことになるのではないでしょうか。「親鸞は、父母の孝養のためにとて、一返にても念仏申したることいまだそうらわず」という『歎異抄』の言葉は、私たちに何を呼びかけてくださっているのでしょうか。
 
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